Feb 11, 2009

耐久性のある床コーティング

幼い子供と猫、犬のペットもいる住宅の床は傷が多く付いてしまい、ワックスをかけてもどうしても、元の光沢に戻すことができませんどのようにが、と考えましたが、キッチンのリフォームと一緒にフロアコーティングしていただきました。フロアコーティング新品同様に戻って、20年保証30年以上の耐久性があり安心です。
フロアコーティングをしたい人の最大の希望は"きれいになる"というのはではないでしょうか。この"キレイ"というのは、フロアコーティングの利点は、掃除が簡単に破損を防ぐため、管理の必要性3点で提供しています。床は常にピカピカであれば、部屋の雰囲気が明るくなり、きれいに感じます。
 警察庁によると、30日午前10時現在、12都道県警が検視などで確認した死者は1万1232人、家族らから届け出があった行方不明者は1万6361人で、計2万7593人になった。

【フォト】過去最高の義援金どう配分?「早く届けたいが…」

 不明者のうち、福島第1原発がある福島県大熊町など8町村を管轄する双葉署だけで1500人以上(29日時点)を占めており、原発周辺の捜索が大きな課題になっている。

 岩手、宮城、福島3県の死者で検視を終えたのは1万1152人。身元確認も徐々に進んでおり、約79%の8799人が判明した。手続き上では8412人の遺体が引き渡されたが、実際に引き取ることが難しいケースもあり、安置所で預かられている遺体も多いとみられる。

 都県別の死者数は、北海道1人▽青森3人▽岩手3301人▽宮城6843人▽山形1人▽福島1030人▽東京7人▽茨城20人▽栃木4人▽群馬1人▽千葉17人▽神奈川4人。

 17都県2065カ所の避難所で暮らす人は17万4367人。建物被害は全壊・流失が9都県で1万8699戸。このうち岩手が6割以上を占めており、宮城と福島では依然、把握が難しい状況が続いている。


【関連記事】
・「いつ迎えに来るの?」“震災孤児”見えぬ実態
・友が減った学校 寂しい節目
・「また助けにくる」沈黙の中で懸命の検視
・被災地での“火事場泥棒”住民は仕方がないと目をつぶった
・被災者に生きる希望を与える笑顔の子供たち


 前田完治さん76歳(まえだ・かんじ=前三修社社長)29日、肺炎のため死去。葬儀は31日午前11時、東京都港区南青山の青山葬儀所。喪主は長男で同社社長の俊秀(としひで)さん。

 日本書籍出版協会副理事長、日本電子出版協会初代会長などを務めた。

 東日本大震災で校舎が焼失した石巻市立門脇小学校の児童が29日、地震以来18日ぶりに母校に集まった。再会を喜び合う児童らを見つめる鈴木洋子校長は31日付で退職し、同校を去る。鈴木校長は集まった児童たちに「強く生きてほしい」と呼びかけた。(松岡朋枝)

 門脇小の児童は震災で1人が亡くなり、6人の行方が分かっていない。同小は震災直後に焼失したが、近くの門脇中学校に臨時職員室を置き、児童の安否確認を行ってきた。多くの児童が今も避難所生活を送っている。

 29日は門脇中に全校児童300人のうち180人が集まった。震災直後に近くの日和山に避難し、そのまま解散して以来の再会だ。

 「皆さん、あの日の朝会で校長先生が紹介した言葉を覚えていますか?」。 門脇中の教室で鈴木校長は地震以来2週間半ぶりに集まって児童に向かって問いかけた。

 「桃花笑春風(とうかしゅんぷうにえむ)」。鈴木校長が書くと、「読み方忘れた」「覚えてる」?。様々な声が上がった。

 鈴木校長は震災当日の11日朝、全校集会で児童にこの言葉を用いて「辛いことがあってもいつか笑える日が来る」と話した。

 その日の午後、津波を伴う大きな震災が襲った。「辛いことが、こんなにすぐ降りかかってくるとは思わなかった」。鈴木校長の声は震えた。

 同小6年の山下美咲さん(12)は「みんなに会えてホッとした」とにっこり。4月以降に卒業証書を手渡されると聞いて「うれしい」と顔をほころばせた。避難先の東松島市から駆けつけた同小6年の平山さくらさん(12)は「本当は門小で卒業式をやりたかった…」と寂しさをのぞかせた。

 地震の影響で、卒業式も修了式も行えなかった。この時期に退職するのは「とても心残り」と話す鈴木校長は児童に「辛いことを乗り越えて強く生きてほしい。校舎は消えて地区もなくなってしまったけれど、思い出はいっぱいある。新しい門小を作ってください」と語りかけた。

 門脇小は中学校の校舎を借りて4月21日から新学期をスタートさせる予定だ。

【関連記事】
「同級生の絆強まった」卒業式前日に被災の中学生
津波で義足失った男性、新調のため神戸へ
卒業式「絶対する!!」 亡き友見送れず心残り
被災者に生きる希望を与える笑顔の子供たち
東京大学教授・坂村健 より強い日本をつくるために


 岩手県釜石市の拠点避難所「鵜住居(うのすまい)地区防災センター」に母と避難したまま行方不明になった6歳の孫の男の子を、2人の祖父が捜している。保育園児だった孫は、4月にランドセルを背負うのを楽しみにしていた。「誰さ、この怒りをぶちまければいいのかね」。がれきに埋もれた街を、今日も2人は歩いている。【鈴木一生、山本将克】

【避難した場所は…】東日本大震災:あいまいな避難場所で被害拡大 岩手・釜石

 行方不明なのは菊池辰弥さん(35)の長男涼斗(すずと)ちゃん。地震が起きた11日、体調を崩していた涼斗ちゃんは保育園を休み、母琴美さん(34)と一緒に祖父の佐々木重光さん(62)宅にいた。

 ◇「怖いよう」

 突然の激しい揺れ。「怖いよう。怖いよう。もう止めてよ」。涼斗ちゃんは居間のこたつに潜り込んだ。「あそこへ避難しろ」。地元消防団の分団本部長を務める佐々木さんは、琴美さんに約50メートルの距離にあるセンターに逃げるよう指示。防災サイレンを鳴らすため家を飛び出した。

 センターは3月3日にあった津波の避難訓練の集合場所でもあった。「安全だと思ったのに。避難場所として適していなかった」。佐々木さんは悔やむ。

 2日後、もう一人の祖父、菊池通幸さん(63)はセンターに向かった。泥が堆積(たいせき)し備品が散乱する2階の避難室に、子どもの遺体があった。息をのんでティッシュペーパーで顔をふいた。別人。涼斗ちゃんと同い年の男の子だった。

 琴美さんの遺体はセンター2階で見つかった。18日、遺体安置所で対面した。首には、結婚指輪が通されたネックレス。母子は津波が来るまで手を握っていたはずだが、涼斗ちゃんは見つからなかった。

 「ただいま」。玄関先で元気よく一日の無事を知らせてくれた涼斗ちゃん。その声は11日から途絶えている。「お母さんとお兄ちゃんはいつ帰ってくるのかな」。涼斗ちゃんの妹風音ちゃん(3)は菊池さんに尋ねる。今は「お利口にしていれば、いつかは帰ってくるさ」とごまかすしかない。

 2人の祖父は26日、センターへ向かった。物資不足の被災地では、なかなか手に入らなかった菊の花をそっと手向けた。センターの外では重機ががれきの山と格闘していた。孫はその下にいるかもしれない。「丁寧に丁寧に、かきわけてくれねえと」。菊池さんはつぶやいた。


【関連記事】
【東日本大震災】悲しみ秘め卒業生送る 釜石の小学校長
【津波ドキュメント】津波 静寂 街消えた=釜石市・沢田幸三さん撮影
【東日本大震災 図説集】釜石港には9メートルの津波
【特集・東日本大震災】最新記事、写真特集など
【東日本大震災 希望新聞】安否情報、サポート情報などはこちらから


Posted at 00:00 in Children | WriteBacks (0) | Edit
WriteBacks
TrackBack ping me at
Post a comment

writeback message: Ready to post a comment.